皆様、こんにちわ。
以前から原案があった「ディレイの白百合」を文字の形でまとめてみました。
この作品は「迷い人」参加者さま限定でお持ち帰り&アップが可能となっています。
アップの可能期間はエンドレスです♪
アップの際に誤字脱字等に気づく、文体を自分のものにしたい、挿絵を入れたい、背景を入れたい、承前と本編だけを入れたい、レイアウトを変えたい―などのご要望があります場合は、内容を変えなければ少々の編集を加えても大丈夫となっております♪
尚、今回の背景は素材屋さんからお借りしたものを使用しておりますので、お持ち帰りが可能゙なのは本文のみとなっています。
この宇宙次元に散らばる諸世界のなかに、セレンダイルとフォーテイルというふたつの種族が共存する世界がありました。
しかし、ふたつの種族はお互いの特性を生かして共存するというよりも、刃を交える形で接することが多かったのです。
水と陸の種族の戦いは永遠に続くとさえ思われていたのですが、果ての無い戦いはフォーテイル族が異世界から召喚したひとりの魔法使いによって一応の終焉を迎えることとあいなりました。
異世界人の魔法使いは、フォーテイル族の暮らす大地とセレンダイル族の住まう水の境にシャイアという金色のの草を編み出すことにより、両種族の領域に境界線を作ったのです。
金色のシャイアはフォーテイル族の上陸を決して許しはしませんでしたが、フォーテイル族にも代価を与えたのです。シャイアがこの世界に生まれてからというもの、フォーテイル族は日の光のもとにある水に触れることが叶わなくなったのです…
魔法使いは二種族の境界線の代価として、両種族に対して均等に痛みを背負わせることにしたのでしょうか?
それはこの世界の誰にもわからないことでした―
とはいえ、セレンダイル族は魔力に長けた種族です。
現在はシャイアの金色の輝きに阻まれて上陸を阻止されている彼らも、時が過ぎればいつまた陸を侵攻するかはわかりません。
ゆえに、ふたつの種族の間に境界線が敷かれてから千年が過ぎても、フォーテイル族はセレンダイル族への警戒を解くことはありませんでした。
フォーテイル族が国家を作っている大陸のひとつにヴェストゥールという名のものがありました。
ヴェストゥール大陸に暮らすフォーテイル族は都市国家連合体という形をとって国家を運営しています。
そうした都市国家のなかに、ディレイという街がありました。
ディレイは古く千年以上の歴史を持つ由緒ある街であり、街を治めているディアルド、クローナの両家もまた古い血統を誇る名家として大陸じゅうにあまねく知れ渡っているのです。
ふたつの名家が治める街は、歴史ある街に相応しい繁栄を誇っていました。
―今から2年前…
北方の学術都市シレギアのレーテ家からディアルド家に嫁した奥方ウィステリアが夭折するまでは…
ここ数年、ディレイの街長を補佐する家であるクローナ家に書状が届かない日はありません。
それらの殆どは去年20歳を迎えたアルヴェイン・セレス・クローナの姫メリルアンジェ宛てのものです。
内容はみなクローナ家の美しい姫君への求婚です。
クローナ家の菫色の瞳をした姫の美しさについての評判は、彼女が基礎教育期間を経て結婚が可能になる15歳を迎える頃には近隣の街に広まっており、姫が15歳を迎えたときには、それを待ちかねていたかのように、求婚の書状が毎日のようにクローナ家に舞い込むようになっていたのです。
それはメリルアンジェの15歳の誕生日から6年が過ぎた現在も続いていました。
「姫君、お手紙です。」
「まあ…
どうしましょう。
昨日も届いているのに…」
侍女から今日配達されてきた書状を受け取った姫は溜息をつきました。
求婚の書状を送る男性は皆真剣な思いでこの書状を書いていることでしょう。彼女がその心を受け取ることができるのはただひとりだけなのですが、現在のメリルアンジェには群なす求婚者からそのひとりを選ぶことも考えられずにいるのです。
なかには断りの返事を出してからもなお、懲りずに求婚状を送ってくる男性もいます。
こうした書状が毎日のように届くということは、普通の姫であれば舞いあがるほどに嬉しいことなのでしょう、しかし、街の政情の方が今よりも少しでも落ち着いたら正式な女神官となることを密かに決意しているメリルアンジェにとっては重荷でしかありませんでした。
セレスやタイスの家に連なる者が神殿に入ることは禁じられてはいません。ただし、神殿に入り、正式に聖職者としてのエリスやイーラの名を得るためには、持って生まれた統治階級者の家系の者の名を放棄しなければなりません。
メリルアンジェのこの考えは、ディレイが他の街との強い結束を必要とするような事態に陥っていれば間違いなく反対されることでしょう。セレスやタイスの家に生まれた者は街の統治階級者の家系としての特権を享受する権利を持っいる反面、街に何か問題があれば街の政治の全権を担う家の者として矢面に立たねばならないということでもあるのですから。その場合、ときには一生をともに生きる伴侶である配偶者についても自分の意志では選べなくなることも起き得るのです。
しかし、幸い現在この街は他の街と戦いを起しているわけではなく、内部に問題を抱えているとはいっても存亡の危機に立たされているというわけでもありません。
もう少し市街地の状況の方が落ち着けばアルヴェインもリスティメイラも娘の気持ちを理解してくれる可能性もあります。
「―お返事の内容は今夜考えることにしましょう。
そろそろ神殿の方に行く時間だわ。」
メリルアンジェは立ち上がると外出用のマントを羽織りました。
彼女が神殿によく通っていることはディレイの住人であれば誰でも知っているのです。
「姫君、こんにちわ。」
「こんにちわ、マリアーデ女神官。
今日の訪問は東地区ですね。わたしもお供しましょう。」
「姫君、いつも有難うございます。」
「地区の皆様もわたしたちを待っていますもの。わたしも皆様のお役に立つことができて嬉しいのよ。」
女神官のなかにまじったメリルアンジェは女神官たちの使うヴェールを着けると、彼女たちと同じように籠をとりました。
籠に入っているのはこれから向かう地区での仕事に使う道具類と、神官たちの手で祝福されたシャイアです。
神官たちによる祝福を受けたシャイアは水を浄化する力を持ちます。聖職者たちによって祝福されたシャイアで浄化された水はフォーテイル族を害することはなくなります。ゆえに、神殿で祝福されたシャイアはフォーテイル族がこの世界で生きていくうえでは絶対不可欠なものとなっていました。
とはいえ、ディレイにも、なかにはさまざまな事情から市場などで正規の価格で扱われているシャイアを入手することが難しい人が存在するのも確かです。
そのような人々に定期的にシャイアを配達することもまた神殿の大切な仕事のひとつなのでした。
女神官たちとともに街の東部の一画に来たメリルアンジェは、マリアーデとともに一件の民家に向かいました。
今日薬品とともシャイアを届ける予定の一件です。
魔法使いや聖職者も学業の一環として医療や薬について学ぶので、聖職者が神殿の外に出て奉仕を行う際にはその知識を使うこともあるのです。
「この品でよろしいですか?」
マリアーデは包みのひとつをかごから取り出しました。
小さな包みにはこの家のファミリーネームが書いてあります。
「ねえ、お姫様、今日新しい字を習ったんだよ。」
近くにいた子供がメリルアンジェのヴェールを引っ張って声をかけました。
「こら!姫君に失礼じゃないか。」
「怒らないでちょうだい。わたしなら構いませんわ。
どんなことをおぼえたのかわたしにも聞かせてくれるかしら?」
メリルアンジェは少年の方に身体を向けました。
「うん、いいよ。ええとね―」
「あーっ!お兄ちゃん、ずるい!」
「ほらほら、喧嘩しないの。順番にお話しましょうね。」
席から立った姫は幼い兄妹に近づき、ふたりの目線の位置にあわせて姿勢をかがめます。
マリアーデは寝台のうえのサミル老人の脚を軽くほぐしながら、3人の微笑ましい光景を見つめました。
ヴェストゥール広しとはいえ、自ら進んで市街のあちこちで奉仕活動を行う聖職者と一緒に生活に困窮している人々の家を訪問したり、炊き出しを手伝ったりする姫君というものは、メリルアンジェの他にはきっと存在しないことでしょう。
女神官たちと同じヴェールをつけて街の人々と接するメリルアンジェの姿はマリアーデにとっても誇りでした。
往診を終えて帰ろうとしていたひとりの医師が街角で炊き出しを行っている神官の一団の方に目を向けました。
彼の瞳は自然とそのなかにいるひとりの女性の方に吸いつけられて行きます。
若い医師が見つめているのは、女神官たちと同じように白いヴェールをつけてはいるものの、他の女神官とはやや異なった長衣を着て、お茶を入れたカップを人々に手渡している白金色の髪の女性です。
白金色の髪をした女性が手慣れた調子でお茶を入れる仕草は、女神官のものというよりも、貴婦人特有の優雅さに満ちたものでした。
「兄さん、ディレイは初めてかい?」
ひとりの男性が神官たちの一団を見つめている若い医師に声をかけました。
「そうだ。ここの戦士団の軍医に招かれて数日前にアーライから来た。
それよりもこの街の聖職者は優雅だな。
あの菫色の瞳の女神官などは生まれながらの姫君のようじゃないか。」
サーフュールはさっきから目を離せずにいる白金色の髪をしている女性を示しました。
「それは半分あたっているよ。」
「?」
「あの白金色の髪の方は正真正銘のセライアだ。
メリルアンジェ・セライア・クローナ姫様だよ。
≪ディレイの白百合≫の名を聞いたことはないかい?」
「セライアだって!?」
アーライ出身の男性は信じられないという様子でもう一度じっくりとお茶を配っている女神官の方を見ます。
ティーアやセライアの名を持つ貴婦人がこのような場所にいるというだけでも珍しいのに、そればかりかあの白金色の髪をした姫は周囲の聖職者と同じように目の前にいる人々のために動いているのです…
「―噂どおりだ。
本当に穢れのない白百合のような方だな…」
若い医師は今からしようとすることもすっかり忘れて、ただただ聖職者のなかにいるメリルアンジェの姿だけを追いかけています…
それからというもの、サーフュールは、神殿で行われる礼拝に出席したときには参列者のなかに、街に奉仕活動に出ている聖職者を見かければ白と金色の装束をまとう人々のなかにクローナ家の姫の姿を探すようになっていました。
市街地東部にある自宅で静養しているラウナス・カルド・イーディンを訪ねた日に見かけた、奉仕活動を行う女神官にまじっていた姫君の姿が忘れられないのです。
「…全く。長はディレイを滅ぼしてしまうおつもりなのか!」
アルヴェインは苛立ちまじりに書類が散乱している机のうえにグラスを置きました。
「アルヴェイン様?」
ソリアナールが主君に視線を向けます。
「今度はアリステーゼ姫のために半地下の人工滝を建造されるという。
滝に光がさしこむ形で建設を進め、しかも景観を最大限に眺望しつつ人にも害にならないような形をご所望という話だから、工事はもとより、シャイアの使用量の方も半端なものではないだろう。
先月は回転木馬、その前は桜園………
―これはまた財務局から叩かれるな…」
「今以上に長のお屋敷にシャイアが必要ということになれば、市民や神殿にも負担を強いることになりますね。」
エリダイルが父の執務机の空いた場所に本を置きました。
街の出来事を綴った記録を本の形にしたものです。
「アリステーゼ姫はウィステリア様によく似ておられる。長じれば奥方様のような聡明で美しい姫君になられることだろう。
長が、亡き奥方の忘れ形見でもある姫君を可愛がられるお気持ちもわからなくはないが、市街の犯罪率の方にも目を向けていただきたいものだ。奥方様のご葬儀以来、物価高と増税は留まることを知らない。犯罪者のなかには負担に耐えかねてそうした行為に手を染めざる得なかった市民も含まれているという事実も考慮していただきたい…
せめて、少しでも長の自邸の増築熱が鎮まれば助かるのだが。
これではそのうちにディレイは盗賊の巣窟になり果ててしまうではないか。」
このままではメリルアンジェにも外出を控えさせるか、常に護衛をつけさせることになるだろうな。」
アルヴェインは溜息をつきました。
メリルアンジェが神殿に通い、聖職者とともに市街での奉仕を行っているということはディレイじゅうにあまねく知れ渡っていることです。多くの市民は積極的に民と交わる美しいセライアに好意をよせているのですが、街の治安が悪化するようなことになれば、高貴な家の姫君が護衛もつけずに外を歩いていれば彼女が何らかの事件に巻き込まれる可能性も出てくるのです。
「―そのことについては姫君に打診してみたのですが、姫君が仰言るには”民を信じていれば自分の街を歩くのに警戒心は不要だし、市民に不必要な恐怖心を与えることもしたくのないで、護衛の衛士は不要”との御返答でございました。」
「アンジェらしい返答だな。」
アルヴェインは、いつもの穏やかな微笑みとともにソリアナールの進言に返答する娘の様子を想像して笑みをうかべました。
「そういえば姫君もそろそろ御夫君の選出について本格的に取り組む頃合ですね。」
「時が経つのは早いものだな…
これはディレイのみならず、アンジェにとっても一生の問題だ。
幸い現在のディレイには長の奇行を除けばさしたる問題はなく、セレスやタイスの階級であれば国主の家系のように伴侶となる相手の身分についての限定もない―勿論≪封印貴族≫は問題外だが。
なれば、リスティメイラとも話しているが、メリルアンジェの婚儀については娘の気持ちを大事にして決めていきたいと思っている。
仮にアンジェがセライアの名を放棄して神殿に入ることを希望しているとしても、それはあの娘が選んだ将来だ。
クローナ家の跡取というならば我が家にはエリダイルという息子もいる。
アンジェがイーラの名を得るときには喜んで祝福したい。」
ディレイで起きる出来事をまとめた本のなかからアルヴェインが探している箇所を検索するエリダイルも静かに頷き、父の考えを肯定していることを家令に伝えます。
アーライから来た若い医師が初めてメリルアンジェの姿を見かけてから数ヶ月が経過していました。
仕事用の鞄を持ってディレイ東部に来ていたサーフュールは、いつしか最初にクローナ家の姫をみかけた場所に立っていました。
あの日以来、サーフュールは兵営の外での仕事を積極的に受け持つようになっていました。
その方が街中で活動する神官たちに出会う機会も増えるのです。
―いかん。こんなところで何をやっているんだ!?―
はっと我に返ったサーフュールはうかびかけた考えをふりはらうように首を横に振るとイーディン邸を目指して歩き始めました。
目指すイーディン邸はディレイ東部とはいっても、シャイアを入れた籠を持つ神官が通う区画とは少々違う場所にあるのです。
「どけ!」
ひどく急いでいる男性の声が物思いをふりはらいかけたサーフュールの耳に届きました。声の主はサーフュールをを乱暴に押しのけると、そのまま人の間を縫うようにして走り去って行きます。
「泥棒!誰かその人をつかまえて!」
続いて聞えたのは女性の声です。
これを聞いた途端、サーフュールはさっきの男性が何をしたのかを察知し、鞄を抱えたままでさっきの男性を追いかけました。泥棒と叫ばれた男性を追いかているのは彼ひとりではありません。
もとは女性の持ち物であると思われる鞄を抱えて走る泥棒の逃げ足の方はたいしたもので、サーフュールも含む追跡者を難なく引き離していきます。これだけ距離を離されてしまえば、飾り帯を使って足止めすることも叶いません。
追いかけられている男性は民家の路地に逃げ込もうとしているようです。
このままでは完全にまかれてしまいます。
サーフュールははずみをつけて、持っていた仕事用の鞄を泥棒に向けて投げつけました。
医師としての仕事の道具が入った鞄はそれなりの重量があるので、標的の人物にうまくあたれば―そしてあたりどころ次第では―泥棒を昏倒させることも不可能ではないでしょう。
「―!?」
サーフュールの投げた鞄は被追跡者の背を直撃しました。その一撃は彼を昏倒させるまでには至りませんでしたが、少しの時間の足止めには役立ったようです。
この隙に彼を追う男性たちはその距離を縮め、新たに別の方向からも捕縛の協力者が出てきたのです。
このぶんだと、治安局から警吏が来るまでには大方のけりがつくことでしょう。
ほどなく、通報をうけた警吏の者が出てきました。
警吏が来てくれればもう泥棒の逮捕は決まったも同然です。
治安局の者は慣れた様子で男性を囲み、少々のもみあいの後に彼を逮捕してしまいました。
「これはあなたのお荷物ですか?」
警吏のひとりが逮捕した泥棒から押収した鞄を保護している女性に見せました。
「ええ、これです。有難うございます。
あなたにも感謝します。」
鞄を取り返した女性はサーフュールにも微笑を向けました。
彼女は、アーライ人の医療用鞄が逮捕に一役買ったところも見ていたのです。
サーフュールの鞄もいまは本来の持ち主のもとに戻っています。
ただ、鞄のなかに入っている薬瓶などがどうなっているかは今のサーフュールにもわかりませんでした。
鞄を勢いよく投げたうえ、それが人にあたったとなれば鞄にもそれなりの衝撃があったことは考える余地もありません。
このぶんではおそらく、薬が入っている硝子瓶の幾つかも被害を受けていることでしょう。
そうなれば、薬については諦めるしかないにしても、せめて一緒に入っている書類に硝子瓶から飛び出した液体の影響が出ていないことを願うしかありません。
サーフュールは荷物を石畳の道のうえに一旦おろし、持つ手を変えました。
さきほどの投擲で利き腕を痛めてしまったことに今気づいたのです。
「―腕を痛められましたの?」
アーライ人の背後から彼に語りかける女性の声がしました。
「いや、大したことはない。わたしも医者だ。
この程度ならば自分でもどうにかできますよ。」
サーフュールはそのままで背後の女性に応えます。
「とは仰言いましても…
いくらあなたが医療に携わる方でありましても、方腕では治療を施すにも不便ですわ。
マリアーデ女神官、いいかしら?」
「姫君のご予定に差支えがありませんでしたら、わたしどもに異存はありませんわ。」
「有難う。
でしたら、この方の手当てをしたいのだけど、手伝ってもらえるかしら?」
「もう少し行きましたら飲食店がありますから、そこの奥を借りましょう。」
マリアーデと呼ばれた女神官とは別の女性が姫の提案に応えます。
―姫だって!?―
サーフュールは驚いて背後を振り返りました。
そこにいるのは、女神官のような白いヴェールをつけたクローナ家の姫君でした。
姫は今日も東地区に来ていたのです…
「クロー家の姫君…」
「そのように畏まる必要はありませんわ。
こちらで手当てをしますから、暫くお時間をくださいね。」
メリルアンジェの穏やかな菫色の瞳はサーフュールの方にまっすぐに向けられています。
この瞳で見つめられれば、きっと魔物の心さえも溶けてしまうことでしょう―
痛めた腕の治療のために女神官たちと一緒に建物に入ったサーフュールは、女神官たちが持っている道具類なかから必要なものを取り出す間に自分の鞄の中味を確認しました。
鞄のなかは、ほぼ彼が予想したとおりの状態になっています。
薬を入れた硝子の小瓶の3分の一ほどは砕けて中身が散っており、液体薬は数枚の書類のインクをにじませています。
「…やっぱりな。」
さっきの行動の結果を確認したサーフュールは苦笑しました。
「右腕をお出しくださいますか?」
メリルアンジェが語りかけます。
「―サーフュール・ライデルと申します。姫君。」
「ライデル殿と仰言るのですね。御覧になっている書類はディレイ兵営の書式のようですが…兵営のお方なのですか?」
メリルアンジェはサーフュールの腕の具合をみながらサーフュールに問いかけました。
「兵営の方でカルドの方々の軍医をやっています。
先輩からの招きを受けて数ヶ月前にアーライからこちらに来ました。」
「まあ…アーライといえばヴェストゥールの音楽家にとっては聖地ともいえる街だわ。」
湿布薬を準備している女神官が治療を受けている若者の方を見ました。
「アーライ音楽院は有名ですからね。
―といってもわたしは音楽の方はからきしですが。
確か、卒業生のなかにはディアルド邸のお抱え楽師として活躍している方も数名いるとのことですね。」
「ええ。アリステーゼ姫の音楽の教師もアーライの音楽院出身ですのよ。
街長様は姫君に音楽以外でも一流の教師をおつけになっていますの。」
メリルアンジェは湿布薬を手際よくサーフュールの腕に巻いていきます。
慣れた手つきから察するに、彼女がこうしたことをするのもこれが初めてではないのでしょう。
「ディレイの街長が姫君思いであることは周囲にも知れ渡っていますからね。」
「アリステーゼ姫は7歳のときに母君を失われましたわ。
街長様は姫君にそのとき以上の不憫な思いをさせまいとして精一杯の愛情をおかけになっていますの。」
「―ディレイの白ゆ…
いえ、なんでもありません。」
アーライの医師は慌ててメリルアンジェから視線をずらしました。
サーフュールの手当てをしている女性は、女神官のようなヴェールをつけて市井に出ているとはいえ、≪パルムの赤薔薇≫として知られている南方の街パルムのフェイラム家のライシェリーゼ姫とともに≪ディレイの白百合≫としてヴェストゥールじゅうに知れ渡っている名家の姫…それもセライアの名を持つ貴婦人です。彼女に求婚する者のなかにはディアルド家やクローナ家に並ぶ名家の子息もいることでしょう。
市中に流れている噂では、姫は近い将来正式にイーラの名を得る可能性があるといわれているのですが、もしかするとその噂はカムフラージュで、クローナ夫妻はそのなかから既に姫の伴侶となる貴公子を選出しているかもしれません。
かといって、メリルアンジェが聖職者になることを願っているという噂が本当であるとしても、彼がメリルアンジェによせる想いが報われる可能性は皆無といっていいでしょう。
聖職者として一生を全うする誓いをたてたものは、同時に生涯独身をとおすことをも誓うことにもなるのですから。
「?」
サーフュールの様子を見たメリルアンジェは一瞬手を止めました。
アーライ出身の医師が何を考えているかは彼女にはよくわからないのですが、彼がなにか複雑な気持ちゆえに視線をずらしたことだけは感知できたのです。
「メリルアンジェ姫。」
「まあ、サーフュール殿。」
マリアーデたちとともに孤児院に来たメリルアンジェはそこに居合せたサーフュールに微笑みかけました。
サーフュールとメリルアンジェが最初に言葉を交わしてから2年近くが過ぎる頃には、ふたりは互いを名で呼び合うようになっていました。
あのとき以来、彼は兵営の仕事が非番になるとは市井での神殿の仕事を手伝うようになっていたのです。
「ちょうど非番だったのでお手伝いに来ました。」
「いつも助かりますわ。
では、この荷車の積荷をおろすお手伝いをお願いできるかしら?
子供たちに新しい毛布を持ってきましたの。」
サーフュールは姫君に微笑みかけると、馬車の積荷を固定している紐をほどいている2名の神官とともに、姫に頼まれた仕事にとりかかりました。
「あの方、このところよく居合わせますね。」
「きっとディレイの神殿の活動に興味を持ってくださっているね。
奉仕に協力してくださるお医者様の存在はこのような地区の皆様にとっては本当に有難いことですもの…
市民の皆様もきっと喜んでいるわ。」
「さあ。わたしはそれだけではないと思いますけど。」
「…?」
メリルアンジェはきょとんとした瞳を隣にいるマリアーデに向けました。
「あ!お姫様!」
建物に入った聖職者の一団に最初に気づいた子供がメリルンジェの姿を見つけました。
なんらかの事情で親や帰る家を失った子供たちを引き取って育てている施設もまた神殿が中心になって運営しているので、聖職者たちもよくこのような施設を訪れるのです。
そうした訪問にメリルアンジェの姿がまじっていることも珍しくはないので、施設で育っている子供たちは姫の素顔を知っているのです。
「こんにちわ、神官さま。」
「こんにちわ!」
広い部屋にいる子供たちが聖職者たちのもとに集まってきます。
「今日は何を持って来たの?」
「新しい毛布と冬のお洋服よ。
毛布は今収納庫に運んでいるから、季節が変わったらすぐにも使えるわよ。」
マリアーデがにこやかに答えます。
「神官さま方、姫君、いつもお心遣いを有難うございます。
ほら、あなたたち、静かになさい。
神官の皆様が面食らっていますよ。」
ひとりの女性が訪問者の周囲に集まっている子供たちをなだめようとします。彼女は神殿からこの孤児院を任されているのです。
「院長先生、冬の洋服が来たよ!」
「あ。院長先生。」
「神官さまがたにちゃんと挨拶した?」
子供たちは異口同音で訪問者への挨拶をしたことを孤児院の院長をやっている女性に告げます。
「皆、元気ないい子たちですわ。」
メリルアンジェはドレスのスカートにまつわりついている幼い女の子の頭をなでながら院長に微笑みかけました。
「おそれいります。
毛布の方は他の職員が神官様がたや軍医の方と一緒に収納庫の方に運んでいます。
あの銀髪の軍医の方は最近時々ここにも来られますね。」
「非番の時間を使って奉仕の協力をしてくださっているのですよ。
彼にはわたしたちも助けられていますわ。」
「きいたところではあの軍医の方はアーライのご出身だそうですね。
美しい芸術に触れて育った人は綺麗な心のままで成人するというのは真実なのですね…。」
「わたしもそう思いますわ。」
「マリアーデさま、今日はお話してくれないの?」
別の子供がマリアーデに声をかけました。
神官たちはこうした施設を訪れる折には古い伝承や神話などを子供たちに話すようにもしているのです。
神官たちの語る物語の多くは神殿内に伝えられている、礼拝時にも引用されることがあるものなのですが、これらも施設で育っているつ子供たちにとっては娯楽のひとつなのです。
「お姫様もおいでよ。」
「ええ。ちょっと待ってね。
院長様、また後ほど執務室の方にお伺いがいしますわ。」
再度子供たちに囲まれた女神官と姫君は大人数でゆっくりと集うことのできる場所に移動しました。
一行が孤児院の訪問を終える頃には太陽は西に傾きかけていました。
シャイアの件について院長と話し合う必要もあったからか、今日は思いのほか長居をしてしまったようです。
「マリアーデ女神官、今日は神殿に寄らずに屋敷に戻らなければならないの。
これを戻しておいてくださるかしら?」
メリルアンジェはヴェールをマリーディアに渡しました。ヴェールが姫君のに髪から離れると、やわらかに波打つ白金色の髪が夕方の太陽の光に淡く映えます。
「そういうことでしたら我々もクローナ邸をまわって神殿に戻りましょう。
お乗りください。」
男性の神官が、既に数名の女神官とサーフュールが乗っている馬車にメリルアンジェも乗ることを勧めます。
馬車といっても今日毛布を運んできたものなのですが、ここから歩いてクローナ邸に戻ることを考えればはるかに理にかなっています。
とはいえ、多くのセライアであれば、このような馬車に乗ることを勧められれば憤慨することでしょう。
「お言葉に甘えますわ。」
メリルアンジェはドレスをかばいながら馬車に乗りました。
孤児院の人々が見送るなか、御者台にいる神官は全員が馬車乗ったことを確認すると、クローナ邸に向けて馬車を出しました。
「どうぞ、姫君。」
神殿の馬車がクローナ邸宅の前で止まると、サーフュールが馬車から降りてメリルアンジェの下車に手を貸します。
「サーフュール殿、有難うございます。」
姫君は銀髪の医師の手を借りて地面に降りました。
「皆様、今日はおつかれさまでした。
ラセリオン神官、神官長にもよろしくお伝えくださいね。」
メリルアンジェは御者台で馬を操っている神官に声をかけました。
「サーフュール殿、おつかれさまでした。
今から兵営の方にお戻りになるのですね。」
神殿の馬車が行ってしまった頃、メリルアンジェはサーフュールに話しかけました。
「いえ…その…」
「…?」
「実は本日はわたしもここに呼ばれている次第で―」
アーライ人医師も首をかしげながら姫君の問いに答えています。
神殿の馬車が彼をここに置いて去ったということは、神官たちは今日サーフュールがアルヴェインに呼ばれていることをあらかじめ知っていたのですが、どうやら彼にも今日ここに呼ばれた理由の詳細は知らされてはいないようです。
「お医者様を呼ぶなんて…
わたしが出ている間に何かあったのかしら?」
「いえ、先輩には何か人事方面のことと伺いましたが…わたしにも詳しいことはわからないのです。」
サーフュールがアルヴェインの部屋に呼ばれたのは晩餐の後でした。
彼が驚いたのは副長が執務ではなく来客時に使う部屋に彼を通したということではなく、彼と一緒にメリルアンジェも呼ばれていたということでした。
姫君は晩餐時のドレスのままでいます。
「姫君?」
「わたしも一緒に呼ばれていますの。」
「…アーライとディレイの間で何かあったのか?」
「政治上のことは殿方にしかわからないらことですが、わたしの知る限りでは、現在ディレイはどの街とも問題を起してはいないはずですわ。」
「ふたりとも、遅れてすまない。」
アルヴェインが部屋に入ると若いふたりは敬礼で副長の入室を迎えました。
副長は夫人と跡取息子も連れています。
これはどうも単なる人事の話ではないようです。
「アンジェ、サーフュール殿もかけなさい。
今日は折り入ってふたりに話があってな。
サーフュール殿、あなたはアーライの出身と聞いているが、ディレイに来てどのくらいになる?」
若いふたりがアルヴェインの前の椅子に腰掛けるのを見届けると、副長はアーライ人医師に問い掛けました。
「3年になります。」
「3年か…
であれば、最近衛生局の局長が引退を考えているという情報も聞いていることと思う。」
「はい。」
「で、我々ディレイの議会としては、君に次代の衛生局局長の座を与えることを考えているのだが、どうする?」
「局長ですか…!?
とんでもない…わたしはただのディレイ兵営つき軍医にすぎません。
身に余る大役です…!」
サーフュールは蒼くなって首を横に振りました。各街の行政を支える機関である、今話が持ちあがっている衛生局も含めた各局は街の施政に直接携わる機関であり、職員でも地位のある者は街の方向を決める議会での議席も持っています。局長となれば一議員として議席を持つだけでなく、より深く政務に携わるための閣議への出席権も有しているのです。
つまり、アルヴェインの提案はサーフュールに為政者としての地位を与えるということなのです。
「とは言っても―
まさかセライアの名を持つ姫を一介の市民へ嫁がせるわけにもいくまい。
クローナ家にはエリダイルもいるが、息子の身に万一のことがあるか、それともディアルド家のアリステーゼ姫の夫君に選出されるようなことになれば、君にはサーフュール・セレス・クローナを名乗ってもらうことにもなる。
局長就任はそのときのいい予行練習にもなるだろう。」
「!?」
「…!」
サーフュールとメリルアンジェはほぼ同時に息をのみました。
まさか、アルヴェインがこのようなことを考えているなどとは、ふたりとも予想もしていなかったのです…
「お父様、待ってください。
それは…その…」
メリルアンジェの菫色の瞳は正面に座っている両親と、彼女の隣で唐突な申し出に衝撃を受けて放心しているサーフュールの間を行き来しています。
「アンジェ、わたしはいいことだと思いますよ。
サーフュール殿の評判はわたしも耳にはさんでいますが、この若い方は街の医療や福祉を担当する部署の局長として相応しいと思いますよ。
何よりも…
アンジェ、あなたもこの若者には好感を持っているのでしょう?
ここ2年近くのあなたは、毎日それは幸福そうな顔をしているではありませんか。」
リスティメイラは穏やかな表情をうかべ娘を見つめます。
「お母様―」
「わたしはディレイのセライアである前にあなたの母親なのですよ。
娘の心がわからないと思うの?
メリルアンジェ、彼はきっと一生をかけてあなたを大切にしてくれることでしょう。
本当に素晴らしい伴侶をみつけたこと。
あなたたちを祝福するわ。」
「サーフュール殿、わたしもあなたをクローナ家の一員として、そしてわたしの義兄として迎えることができるのを光栄に思います。」
「それは…光栄ですが…しかしわたしの血統では、とてもクローナ家のような名家には…」
「家柄や血筋などは大した問題ではない。
要は君たちふたりがどう思っているかということ、そして我々の目で見てクローナの名を継ぐに相応しい器量を有しているかだ。
君の心根については我々も認めるところだ。
そうなればあとは君たちの正直な心が、この件をついてどう考えているかだ。
サーフュール殿、メリルアンジェ、正直な気持ちで考えなさい。」
「お父様、ごめんなさい…
あまりにも急なお話で驚いてしまって―
少し時間をください。」
「わたしも―申し訳ありませんが、後日改めてお返事に伺いたいと思います。」
「こう突然では驚くのも無理はないな。
ふたりともよく考えて返事をするといい。
現在の衛生局局長が引退するまでにはもう少々時間もある―返事はその時までに聞くとしよう。」
アルヴェインはまだびっくりしているふたりに穏やかな口調で語りかけます。
副長の傍の夫人は余裕ありげな表情で娘とアーライ人をみつめています。
彼女は魔法使いではないのですが、母親の勘で、既にサーフュールとメリルアンジェがどのような答えを出すかを知っているのでしょう。
メリルアンジェは自宅に戻るサーフュールを見送るために、彼と一緒にクローナ邸の門のそばまで来ました。
天にうかぶ大小の月がふたりをやさしく照らしています。
「アルヴェイン殿があのようなお考えを持っておられたとは―」
サーフュールは背後に見える屋敷を振り返りました。
「今日は驚かしてしまってごめんなさいね。」
「いいえ。
メリルアンジェ姫。」
サーフュールは急に真顔になりました。
「はい?」
「わたしはディレイ兵営の医師という地位を持っているが、あなたのご身分に相応しいセレスやタイスの名は有してはいない。
勿論、局長の座についてもうまくやっていく自信もない。
だが―
今日のアルヴェインの提案は間違ってはいないと考えている。
メリルアンジェ姫、あなたは将来的には正式に女神官としての地位を得ることを望んでいると聞くが、よかったら今日からはわたしをあなたの伴侶候補として見てはいただけないだろうか?
勿論、あなたがお嫌でなければの話しだが。」
「いいえ―
否定するなど滅相もありませんわ。
この2年間、わたしもあなたを見つめていましたのよ。
どうして嫌だなどと言えるのでしょう…」
メリルアンジェもサーフュールの瞳を真直に見つめ返します。
空ではふたつの月も若い恋人たちの心を写しているかのようにそっと寄り添っています―
「迷い人」外伝として物語をひとつ書いてみました♪
時間的にはウィステリア奥方の葬儀から2年後ということなので、本編からは遡ること8年〜5年くらいになるのでしょうか(「白百合」のなかでも3年近くの時間が経過していますからね〜)?
この「白百合」はエリダイル君のお姉様にあたるメリルアンジェ姫がまだディレイの姫であった頃を綴っています。
本編ではカルティスの長グランディス・タイス・カーライルに嫁いだことになっているのですが、20代のはじめの頃にはこのような出来事を経験していたのですね☆
「白百合」をこの形でまとめる前は、サーフュール君も身元はアーライ生まれでディレイに来たカルドの軍医ではなく、もとからディレイに住んでいた街医者だったのですが、ディレイではかなりの有名人(?)でもあるメリルアンジェ姫を一目見た途端に恋してしまうエピソードを入れるなら、ふたりの年齢をもうちょっと下げる必要があるかな?と思えたことから、ディレイの外から来た医師ということにしました。
彼が一般市民という原案は最初からあったので、これをそのまま通すのならばサーフュール君をディレイの外から来た人とする方が自然っぽいかな?と思えたんですね☆
この物語は「白百合」だけをみるとハッピーエンドになっているのですが、「迷い人」本編を知っている方は既にサーフュール医師とメリルアンジェ姫の恋が悲劇的な結末を迎えることをご存知だと思います。
このふたりが運命によって別々の道を歩くまでを綴ると長くなるし、本編の法にも影響を及ぼすし…
何よりもふたりの描写が気の毒になってしまうので、「白百合」はあえて幸福なところでとめる形にしました。
そして―
…この案が頭のなかにあったがゆえに、わたしはカルティスを本編に出すことになる日をちょっぴり恐れているのでありました。
だって…こんな前置きがあるとなると、やりかた次第ではギネヴィア王妃的展開になってしまうんだもん…
敬虔で慎み深いアンジェ姫にいくらなんでもその展開…あまりにも…そぐわないもんなぁ。