目次 T. 序論U. 本論
[1] 古代‐任那日本府説
[2] 中世‐文禄の役/壬辰倭乱
[3] 近代
@ 壬午軍乱と日清戦争
A 3.1運動
B 日帝時代の政策;土地調査事業,創氏改名
C 従軍慰安婦
[4] 現代
@ 朝鮮戦争/韓国戦争
A 日韓基本条約
V. 結論
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T. 序論
☆この分科は日韓両国の教科書の間にギャップが存在して、これが両国がお互いを理解する時問題になるという問題認識から始まった。確かに一つの歴史事実を叙述するのにおいて両国の教科書にこのようなギャップが発生する理由は歴史教科書というものに主観性が入っているからである。この歴史教科書の主観性は教科書を叙述する主体が国家であることから発生する。国家は一つの社会的存在として自分の利益と目的の為に行動する。そしてこれは歴史教科書を叙述する過程でも同じく行われているのである。
☆歴史教科書の主観性と客観性はそれを叙述する主体がどんな歴史事実を叙述するかの選択の問題と、これをどの程度まで叙述するかの分量の問題、そしてこれをいかに叙述するかの表現の問題から派生する。一つ明確に定義しなければならないことは、私達が問題視している主観性の程度である。歴史というのを叙述するのにおいて完璧に客観的な歴史はありえない。私たちが取り上げている歴史教科書の客観性と主観性の概念をより明確にするためには、一般的な歴史論議においての客観と主観を区別するべきである。一般的に歴史には客観と主観の要素があることが当然であり、またあるべきである。つまり、遺跡、文献などの史料においての客観的要素と歴史家の評価という主観的要素を均等に叙述すべきなのが歴史である。つまり実在としての歴史、記録としての歴史のギャップを発生させる要素である歴史家の主観性は、私たちが問題視している国家の主観性とは区別すべきである。
☆日韓両国の歴史教科書問題を解決するためには、国家が任意的に発生させる主観性をなくし、歴史教科書の客観性を志向するべきである。
☆客観的な叙述ということは、日韓両国がお互いの立場と関係を考慮して、「ギャップをより近くすること、またはそうなるように努力すべきであると思う。そしてこのような客観的な叙述を通して、お互いの率直な歴史を明確に認識し、良い事は学び、過ちは繰り返さないことができる。これは私たちが歴史を学ぶ意義である。本論では、いくつかのテーマに対して、両国教科書のギャップについて議論して、客観的な叙述だとまとめたものを書く。
U.本論
[1] 古代‐任那日本府説
☆任那日本府説は過去日本が朝鮮の南部を経営したという南鮮経営説の元になることであり、これは後に日帝時代の朝鮮征服の正当性の根拠になる学説である。この主張の根拠として『日本書紀』の好太王碑が代表的である。しかし、この中の『日本書紀』はもう真実性を疑われている資料なので確実な証拠にならない。一番確実な資料は好太王碑文の中のある文章である。問題はこの好太王碑文が様々な日本の教科書に載っており、脚注に特定に問題視されている同じある部分の碑文を載せたことである。もちろん任那日本府説に対して直接的に言及していないが、このような碑文を載せた意図は何なのかに疑問を持った。そしてこの意図は過去日本が朝鮮半島を支配したことを暗に誇示しているように思える。しかし、これはあくまで推測であり断言できない。日本の教科書には自虐性があるとも言われているので、教科書の自虐性を取り上げたりしたが韓国側はこれに対して認めなかった
[2] 中世‐文禄の役/壬辰倭乱
☆文禄の役に対する教科書の叙述で問題視されているのは、戦争勃発の動機についてである。韓国の教科書では戦国時代を平定して太閤検地(豊臣秀吉が全国の土地を精密に調査して租税権を掌握するようになり、大名たちの経済的な没落を促迫した制度)の実行過程で発生した矛盾を解決するためであるといわれているが、日本の教科書では明出兵の先導を求めたが(征明仮道)、朝鮮がこれを拒否することによって戦争が始まったと書かれている。この中の「征明仮道」はその当時秀吉が戦争の名分としてあげた主張で、これだけを記録することは根源的な理由である内部矛盾を隠すことになり、朝鮮が明出兵の為道を貸してあげたら戦争を起こさなかったもしれないと誤解する可能性がある。だから、文禄の役の勃発動機として「征明仮道」と太閤検地2つとも記録することが客観的な叙述であるとまとめた。
[3]近代
@ 壬午軍乱と日清戦争
☆壬午軍乱の場合、日本の教科書の"閔氏一族に反対する大院君が軍隊の支持を得て反乱を起こし"という文が問題視されている。実際壬午軍乱は新式軍隊の別旗軍に不満を持った旧式軍隊たちが偶発的に始まった反乱で事件で大院君の暗黙的な支持を得た。だから日本の教科書の現在の文は事件発生の主体を逆に載せたことである。このような叙述に特定の意図があるかは正確に分からない。しかしながら自国と関係のある他国の歴史事件についてはもっと詳しく正確に叙述する努力が必要である。用語の問題が一番多かった。
☆代表的な用語の問題が、1894年朝鮮で起こった農民と東学教徒たちの蜂起についてのことであった。韓国教科書はこれを東学農民運動と載せており、日本の教科書では甲午農民戦争と東学党の乱を一緒に使っている。まず、日本の教科書の東学党の乱という用語はこの事件の歴史的な意味を縮小する事であり、甲午農民戦争は意味を拡大したことである。だからこの二つの用語を一緒に使うことはこの事件の両極端的な意味を一緒に付与していることになり混乱を起こす可能性がある。また、韓国の教科書の東学農民運動という用語は甲午農民戦争と東学党の乱という用語の中間程度の評価・意味を持っている。しかし、まだこの事件に対して学会では正確に成立された用語は無いので甲午農民戦争と東学党の乱という用語を全く使わないことはこの事件の歴史的な意味を固着してしまい、学生達が自分自身でこの意味を考える思考の範囲を狭くする可能性がある。だから両国の叙述のギャップをより近くして用語の同一化のため叙述した上で脚注をつけて甲午農民戦争と東学党の乱という用語の存在に対して十分に説明すべきだという結論に達した。
A 3.1運動
☆3.1運動は日帝時代の朝鮮で起こった挙国的な抗日運動として両国の教科書の極端的なギャップがわかるテーマであった。まず、日本の教科書はこの勃発動機について自主的な内部力量より外部要因、つまりウィルソンの民族自決主義だけが書かれている。これは3,1運動に対する記載量が余りにも少ない事にもある程度起因することの様に思える。日本の教科書は大体的に韓国に関する事件について叙述が少ない事がわかった。それに対して韓国の教科書はあまりにも内部的な要因だけが強調されていて外部的な要因については正確な価値評価をしてないことが問題であったと指摘された。だから日韓両国の教科書は勃発動機で外部要因と内部要因を均衡的に叙述すべきである。
☆5.4運動に関しては韓国の教科書の場合『3,1運動の意義』という段落を割愛してそれ以外の要素と一緒に詳しく書かれているのに対して、日本の教科書は3.1運動を5.4運動の後ろに配置している。これはこの2つの事件の相関関係を無視した叙述であり結局3.1運動の歴史的な意味を縮小する事であるから直すべきである。また、ほかの韓国の教科書の問題として日帝の弾圧について「残忍無道な」「奸悪な」などのとても感情的な用語を使っており、反日感情を引き起こす可能性があるということについては討議した。教科書に感情が介入される表現は避けるべきである。
B 日帝時代の政策;土地調査事業、皇民化政策
☆日帝時代の朝鮮支配の政策に対する両国の教科書叙述の一番大きなギャップは記載量で見ることができる。韓国の教科書では日帝の植民地時代の政策を時代別に区分して詳しく分析しているのに比べて日本の教科書では教科書の後ろの部分に簡単に一つの文段で書かれている。3.1運動以後のいわゆる文化統治に対する「憲兵警察を廃止するなどの部分的な譲歩」と記述しているので問題視されている。土地調査事業に代表される経済侵奪と神社参拝、創氏改名など皇民化政策についての叙述はだいたい1〜2文であった。日本の教科書のこのような記述は両国がお互いの過去を明確に認識することを妨げることであると憂慮される。日帝時代に関する韓国の教科書の一番大きな特徴は日帝による収奪よりもこれに対する民族の抵抗運動を拡大していることである。これは被害意識を隠すためであるように見えると議論した。韓国は日本に対する被害意識を克服しお互いに対する同伴者意識を持って歴史教科書叙術する必要がある。
C 従軍慰安婦
☆日本の科書には「従軍慰安婦」という用語が書かれている。しかしながら、その詳しい説明は載っていない。連行と徴兵などの用語と一緒に書かれた曖昧な表現が間違った認識を引き起こす可能性がある。韓国の教科書には「従軍慰安婦」という用語は出ていない。その内容と思われる記述はあるが、詳しい説明は無い。教科書だけでなく韓国国内での従軍慰安婦問題に対する関心も薄いという。韓国側自身から「被害を受けた恥ずかしい歴史だが、従軍慰安婦の存在を伝えていくべき」という意見が出た。歴史を学ぶ意義「過ちを繰り返さない」ことと従軍慰安婦の社会的安定の為にも伝えていくべきである。日本側の教科書の具体的な記述の問題は、挺身隊との混同である。挺身隊とは女性の労働力を動員したことを意味しているので、工場などで働く人も入る。従軍慰安婦も挺身隊の中に含まれる。しかし、挺身隊という用語で済ませてしまうことは、従軍慰安婦が受けた被害を正確に伝えることが出来ない。ただ、従軍慰安婦の主体が日本政府かどうかという問題に関しては、はっきりした資料が出ていない。従軍慰安婦になるケースとして、@強制連行、A売春業者、B挺身隊から逃走した罰、の3つが挙げられた。つまり@とBは主体が日本政府という国家であり、Aは個人である。この主体が国家であるか、個人であるかが重要な問題なのである。日本側の意見として、「日本政府は徹底的に事実を究明するべきである」という意見が出た。戦争中につらい思いをした女性がいたということは伝えていくべきであるが、その主体が国家であるか個人であるかは、現在の状況では叙術は保留するべきであるという意見で一致した。
[4]現代
@ 朝鮮戦争/韓国戦争
☆1950年の韓国と北朝鮮の戦争は、日本では朝鮮戦争と呼ばれているが、韓国では韓国戦争若しくは、
6.25戦争と呼ばれている。ここで議論になったのは、「朝鮮」という言葉が不適切である、という事であ る。韓国で起きた戦争であり、韓国側が韓国戦争と呼んでいるのなら日本でもそう呼ぶべきだというのが韓国側の意見であった。それに対して、日本側はその戦争は韓国だけで起きたものではなく、朝鮮半島で起きた戦争であるから、朝鮮戦争と主張した。しかし、そこで韓国側から「朝鮮半島」と言う言葉自体が問題である、と言う指適があり、「韓半島」と「朝鮮半島」という呼び方で議論になった。韓国側は、日本が朝鮮半島と呼ぶときの「朝鮮」が意味しているものとして2つ挙げた。@李氏朝鮮の朝鮮、A日帝時代の朝鮮、である。1897年に大韓帝国が成立、1948年大韓民国成立、と「韓」という言葉は民族の独立と自主性を表すものである。@は大韓帝国を否定するものであり、Aは日帝時代に日本が強制的につけた名前であり、大韓民国という国がある現在に使うのは間違っている、という意見である。また、国際上の礼儀からも日本は現在の「朝鮮半島」を「韓半島」と呼ぶべきであるという。しかしながら、日本ではこのような議論は盛んでなく、韓国側の主張は理解したが、すぐに「韓半島」と呼ぶべきか結論は出なかった。教科書にどう記述するべきかに関しては、まずこのような議論があるということを日本人にもっと知ってもらうべきだろうということで、表記は「朝鮮戦争」とするが、脚注などで紹介する事が好ましいという意見で一致した。
A 日韓基本条約
☆日本の教科書では日韓基本条約に関して詳しく書かれていたのに対して、韓国の教科書では「韓日基本条約」という言葉はなく、内容も詳しい説明は無く、反対運動を強調するなど、この条約が韓国にとってマイナスであったかのように思われる危険性がある書き方である。この条約は日帝時代以後の両国の国交正常化と現在の日韓関係につながる重要なことである。歴史的な意義を考えると、教科書でもっと詳しい説明が必要であると言う意見で一致した。
V.結論
☆8回の分科会議で歴史教科書について話し合ってきた。話し合いの中で一番大変だったのは「客観性」の定義である。歴史教科書が100%客観的であることはありえないが、その中で、いかなるものが客観性といえるのか、定義付けは難航した。そして、私達は歴史教科書における独自の「客観性」の定義を「お互いの立場を理解してから、意見をより近くすること」に決定した。では、その客観性はどうしたら求めることが出来るのだろうか?これから向かって行くべき方向について考えた。
・学生が批判したり、勉強したりする研究団体を作る。
・教科書を現在使っている中学生・高校生を中心として、教科書に載せている歴史的な事実を両国の学生達が話し合うことができるきっかけを提供する。
☆分科会議を通じて気づいた事は、日本の教科書はより良くなって来ているということだ。しかし、まだ問題のある箇所もある。大切なのは多くの情報と盛んな議論だと思う。まだ、確立していない歴史については、多くの意見があるということを表記するべきである。そして、議論を通して、おたがいが何を考えているのかを知り、理解する。そうすることで両国の教科書がより近くなって行くのではないかと思う。
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