恋は桃色

 

でも一度だけ、心が通じあった相手が私にだっていたのです。

だから私は、なんとか生きてこられたのかも。その人との思い出にひたり。

うそです。今まですっかり忘れていました。

だから書きとめておこうと思います。老後の楽しみに。

その人とは、仕事でいつも一緒でした。半年遅れで、うちの部署に配属になった人です。

元レーサーでした。レース中にひどい事故にあったそうで・・・。

彼の首筋には、非常に魅力的な傷跡がありました。針で縫ったような傷跡です。

たぶんその事故のときのものだと推測されます。よく車で同行しました。

その人の運転さばきは、華麗で実に見事でした。山道のカーブを速度を落とさずに、スリルいっぱいで登って行ったことがあります。

愉快でした。動態視力が、普通の人より、何倍もすぐれているらしいのです。

私は、助手席で、なぜか、その人の、首筋の傷跡ばかり見ていたような記憶があります。とにかくいつも一緒だったのです。

事務所のデスクも前でした。

ふっと気がつくと、偶然目が合ってしまってお互いあわてて目をそらしたりした記憶が、あります。
ちょうど一年いっしょでした。

私にとっては、思い出深い一年でした。

一度だけその人と待ち合わせをしたことがあります。

「あ、がいる」

という走り書きをその人の社用車の運転席側のドアのところに私がこっそり貼りつけたのです。

そして「アーガイル」という喫茶店で待っていました。

情報はたったそれだけです。まあ暗号みたいなものです。果たして彼は、来るかしら?どきどきしながら待ちました。

二時間ほど待ったところで、絶望的な気持ちになりました。やっぱり・・・。

そう言う目になんどもあっているのに、懲りない私でした。あなたの時で、待ちぼうけは、こりているはずなのに・・・。

あああ。ってかんじでした。気がついてもらえなかった。とあきらめて帰ろうとしたとき。

な、なんと!!!来てくれたのです。

あの時ほど、その人が輝いてみえたことは、ありませんでした。すてきでした。

 

彼は、運転する時だけ、めがねをかけるのです。

車から出るとすぐに外すのです、その時は、息を切らせて、めがねのまま、その店に駆けこんで来てくれたのです。

 

あの時だけでした。待っていたかいがあったのは。待ちぼうけに終わらなかったのは。彼だけでした。来てくれたのは。てか。

たぶん愛していたのかもしれません。あれが本当の愛だったのかもしれません。幻想ではなかった。

彼は目の前にいた、首筋のキズ跡は、呼吸をするたびに動いたし、さわるとピくッと、脈打ったと思います。

 

触らせてもらったことはありませんが。あは。残念ながら。

 

「あ、がいる」

 

たった一度だけの忘れられない思い出です。

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