行方不明記念日
バイクの事故で、あっけなく、ある人がいなくなってしまった。
もうずいぶんと前の話だ。
私は、その時、ちょうど入院していて、その人のお葬式には、出られなかった。
と、いうより、退院してはじめて、その事実を知った。
病院から久しぶりに戻った私の部屋は、すっかりきれいに片付けられていた。
きっと母が,片付けてくれたのだろう。
母がいったいどんな気持ちで、この部屋に散在していたものたちを、片付けたのかを、想像すると、胸が痛んだ。
机の上には、私の帰りを今か今かと待っていたと思われる手紙がぽつんと置かれてあった。
面会の時に、母が、届いていたよ、と教えてくれた手紙だった。
私は、どうしてもそれが、読みたくて何度も病院に持ってきてくれるように母や父に頼んだのだけれども、承知してくれなかった。
「退院してからゆっくり読んだらええ。そのためにも早く退院せんと・・・。」
父も母も、私が,手紙をせがむたびにそう答えた。
その時の私は、いったいその人の身に何が起こったのかなんて知るよしもなかった。
手紙は、薄紫色の封筒に、
ブルーズブラザーズのような格好をした、
サングラスをかけて、黒いスーツに身を包んだ「こぶたちゃん」のイラストがプリントされてあった。
便箋も、お揃いのものだった。
しかし、その便箋に流れるような美しい文字で綴られていた文面は、
そのユーモラスなこぶたちゃんとは、あまりにかけ離れたひどくモノガナシイものだった。
手紙の最後の1行が
私の心に突き刺さった。
「PS 何で来てくれなかった。残念です!」
その人は、待ち合わせの場所に、私が来なかった。と思いこんでいるのだった。
そう思いこんだまま、逝ってしまった?
「行ったよ。私だって、まちがいなくそこに・・・」
私は、この言葉をいったいどこに向かって投げかけたらよいのか、全く見当もつかず、ひどく混乱した。
それでも私は、病み上がりで、体力気力ともまだ充分回復していなかったことが、
逆に、幸いしたのかどうかは、よくわからないけれど、さほど取り乱すこともなく、
意外にさらりと、その事実を受け止めた。
もしかしたら、人は、自分が耐えうる範疇を大幅に越えてしまっているような、
とてつもない衝撃的な出来事に対して、案外、何も感じないようにできているのかもしれない。なんて思った。
うまくいえないけれど。
人は、耐えられない痛みは、感じないようにできているものらしい。
そのような痛みに遭遇した時は、気絶するようなしくみになっている。と、聞いたことがあった。
意識があるというのは、まだ、耐えられる痛み
なのかもしれなかった。たとえ心の痛みでもしかり。
私は、その人が、ずっと行方不明になってしまった。と、いう暗示を自分に強くかけた。
行方不明。そう行方不明。行方不明。
だから私のところにあるその人にゆかりのある品物は、形見などではだんじてなくて、忘れ物なのだった。
ウィングスのカセットテープも
杏里のLPも
ブレッド&バターの「サンクスマイレディ♪」も。
その人の高校時代の制服の紺のネクタイも。
私は、その人の、命日を知らない。
今日は、その人の行方不明記念日なのだ。
それから、何年も経ってから、知った。
「悲しみ」の感情というのは、ずっとずっと後になって、突然襲ってくることもあるのだなあ。
ということを。
しかもそれは、時と場所を選ばない。
雪が降りそうで降らない、こんな中途半端な寒い朝が、いちばん苦手だ。