1.これは変えられない運命…
雪が降る。深々と降り続けている。
その雪が降る中を、一人の少女が傘を差して歩いていた。
ロングコートに白の手袋。紅いロングのフレアスカート、足元は編み上げ靴を履いている。
やや切れ長の目で、少し目付きが悪いが、それでもそう悪い印象は無い。
黒い髪は歩くたびに波打ち、手で梳いても指に絡まる事は無いと思えるほど滑らかで、艶のある濡れた烏の羽の様に黒く、美しい髪。
大よその男はすれ違う少女へと振り返っており、だらしない顔を見せていた。
そういった視線に慣れているのか、少女はただ歩く。
暗い顔で、覇気が無いといえる。
ため息を吐く。白く染まった吐息が霧散し、消えていく。
歩く先に、白い建物が見える。それはこの街の近辺で一番大きな総合病院である。
病院につくと傘を折りたたんで傘立てに入れ、中へと入っていく。
階段へと足を向けて登っていく。足取りは少々重く見える。
二階、三階と上がって行き、4階のフロアへと出て病室が連なる廊下を歩いていき、一番奥の個室病室の前で立ち止まる。
手にした鞄から手鏡を出して髪形を見る。家でセットした髪が少々崩れていて、手でそれを整えた後、深呼吸。
手が微かに震えているのに気づき、苦笑してしまう。ため息にも似た息を吐いて、病室のドアノブに手をかけてドアを開けた。
ドアを開けて、直に目に入ったのは真っ白な病室。
その中央。機械のコードが伸び、横たわっている少年が居た。
やせ細っていて、栄養は点滴によって補っている。
昔から知っている人は、かつての面影を残していなかった。
意識があるのか、首だけを動かして少女を見た。
白い顔。黒い髪も艶がなくなっている。
「美奈子さん……?」
「寝ておきなさい、雄樹」
「はい……」
身体を起こそうとした少年――雄樹を制して、美奈子と呼ばれた少女はコートをハンガーにかけて椅子に座る。
雄樹を見て、美奈子は心が痛む。骨でゴツゴツとした手。頬の肉も殆ど無く、頬骨が目立つ。
昔は元気すぎて、健康そのものと言えた雄樹の姿が見る影も無かった。
やせた手を握って、美奈子は雄樹を見る。やせた顔に、笑みを作ったのを見て、また心が痛んだ。
1年前。高校に入ってすぐに、雄樹は病で倒れた。
不治の病とされる病で、世界中の名医の手を持ってしても、直す事は出来ない難病だった。
美奈子は自分にできる事が無いと、泣いていた。倒れた少年は子どもの頃からの知り合いで、幼馴染と言って良い。
年下の少年は、昔から泣き虫だった。小学生になってからは、あまり泣かなくなり友達が増えた事もあり、自然に疎遠となっていた。
中学は同じ学校だった。けれど、美奈子はこの近辺で一番の進学校に進学した。
美奈子の記憶が確かならば、雄樹は美奈子の通う学校に受かるほどの成績ではなかったはずだ。
けれど、雄樹は美奈子を追って高校に進学し、見事に入学を果たした。
美奈子は嬉しく思いながら、また一緒に通学できるかも、と思いながら日々を過ごしていた。
そして、雄樹が倒れたのはその矢先の事だった。
手術を受けた。けれど、1時間も経たない内に手術は終わった。
病名までは知らない。だが、親の話では治る事の無い病だと、話をしていたのを聞いて、目の前が真っ暗になったのを覚えている。
もって一年と、雄樹の両親に聞かされて、暫くの間、泣いていた。
学校に行っても友達に心配された事もあった。
美奈子は毎日病院に通い、雄樹のお見舞いに訪れていた。日に日にやせ細る雄樹の姿を見て、家に返ると涙が止まらなかった。
――なんで泣いているんだろう。
――なんでこんなに悲しいんだろう。
――なんでこんなに胸が痛いんだろう。
――なんで雄樹があんな目にあわないといけないんだろう。
何故。何故。何故。何度も同じ言葉が繰り返される。
雄樹とは幼い頃からの顔見知り。いわゆる幼馴染と呼ばれるものだ。
近しい人には愛情を抱きづらいが、ここ半年近くの内に雄樹の存在は大きくなっていた。
なんと言う皮肉だろうか。失うと知ってから、その重要性を理解したのだと、美奈子は思ってしまった。
――あぁ、そうか。私は雄樹を失いたくなかったんだ
だから私は泣いてたんだ。
雄樹の痩せ細った手を握りながら、美奈子は心の中で呟いた。
生きて欲しいと思う。治せるのならどんな事でもしたい。
身が穢れても、雄樹には生きていてほしいと。そんな思いが美奈子の中で強くなっていた。
「美奈子さん、泣いてるんですか……?」
「え? あ、な、泣いてないわよ」
「強がり……ですね相変わらず」
「うるさい!」
「ハハハッ」
「でも、あとどれ位……雄樹と話せるのかな?」
「さぁ……半年か、三ヶ月か、一ヶ月か、もしかしたら一週間かもしれないし、今日で終わるかもしれない」
「嫌だな、それ。 雄樹とは、一緒に居られると思ってたのに」
「美奈子さん……?」
「イヤだよぉ……雄樹ぃぃぃぃッ!」
ポロポロと、涙が零れ落ちていく。堪えていたモノが堰を切って溢れ出し、止まらない。
今まで堪えていた分の涙を全て流し、美奈子は泣いた。
今まで以上に。今までよりも深い深い悲しみ。それは恐怖にも似た感情だった。
何度も何度も、もしもの事を考えて、現実に戻って後悔する。
離れたくないと言う感情が、今まで堪えてきた涙は止められなかった。
子どもの様に泣き続け、時間が過ぎていく。
ふと、頬に何かが触れた。涙で歪む視界の中、それが何かを理解する。
骨と筋だけに近い雄樹の腕。その先の手が、頬に触れているのだ。
親指で涙を拭うと、固い感触があった。
医者の話では、手を動かすだけでも苦労すると聞いていた。
雄樹は更に手を動かして、頭の上に乗せ、優しくなでた。
「泣かないで……ください。 僕も、悲しくなります」
「だけど……」
「聞いてくれませんか……僕の話を」
雄樹の言葉に、美奈子は頷きで答えた。
返事を見て、大きく息を吸って口を開いた。
ゆっくりと話す雄樹を見て、また胸が痛くなった。
美奈子は雄樹の話を聞く。
「僕は……中学の頃に、この病に侵されてると……知ってました。知ったから、美奈子さんと同じ学校に行く事にしたんです……少しでも、美奈子さんと一緒に居たかったから。治る見込みの無い病で、死ぬ事は分かってた。 薬で痛みを紛らわせて、身体に鞭を打って学校に通ってたんです……もし、治るならって、何度も考えました。 けど……これは変えられない運命…なんだって、検診を受ける度に、現実を突きつけられました」
「もう……いいから! もう、しゃべらなくて良いから!!」
「美奈子さん……好きです。 昔から、ずっと貴女の事が好きだった……死ぬ前に、これだけは言いたかった。 貴女を……愛してる、と」
「うっ……ひぐっ、ひっく! わ、私も……好……ひっく……き……えぐっえぐっ……だか、ら……私、ひっくえっく、も愛……してるから……」
泣きじゃくる美奈子をみて、雄樹は無理矢理に身体を起こした。
痛みに顔をゆがめる。それでも、雄樹は震える痩せ細った手で身体を支えた。
そして、泣きじゃくる美奈子の唇を奪う。
雄樹の唇には柔らかな感触が。美奈子の唇にはカサついた肌のような感触が。
お互いに違う唇の感触を得て、長いキスをする。
時間が過ぎていく。病室には二人だけ。
どれだけの時間が過ぎたのか、雄樹から唇を離して、美奈子に支えられた。
最後の力を振り絞った様に、脱力している
少し息が荒く勇気の身体を寝かせて、手を握る。
骨の硬さが、まず認識される。頬をなでたが、やはり骨の硬さが目立つ。
「美奈子さん……落ち着きました、か?」
「えぇ……ごめんなさい」
「構わないわ。 こっちこそ、ごめん」
「良いですよ……久しぶりですから、美奈子さんが泣いたのを見るの」
「だ、誰にも言わないでよ?」
「わかってますよ」
苦笑している雄樹を見る。
昔から知っている人で、子どもの頃に良く面倒を見ていた。雄樹が泣き虫だった、と言う事もあるだろう。
幼稚園の頃に、ある約束をした。約束と言っても、子どもの頃に誰しもが口にした言葉だろう。
その約束を覚えているかは分からないが、それは決して果たされる事の無い約束となる。
昔の事を微かに思い出していると、雄樹が大きく息を吐いた。
「ふぅ……」
「どうしたの?」
「いえ、喋り過ぎちゃったのかな、少し疲れちゃって」
「そう。 寝るの?」
「うん、そうします」
雄樹が目を閉じてすぐに静かな寝息を立て始めた。
コートを着て、静かに病室を後にする。毎日の様に通った道を歩き、帰宅する。
それからなにをするでもなく、過ごした。その夜、美奈子が眠りについた頃に雄樹は静かに息を引き取ったという。
あの会話が、二人の最後の会話だった。
ひっそりと、誰も居ない病室で二人が愛を誓い合ったのを、誰も知らない。
それは、二人だけの秘密。雄樹と美奈子しか知らない、たった二人だけの誓いだった。
ブラウザの戻るでお戻りください