2.「神サマって本当にいるのかな?」






昼。澄み渡る青い空。雲は疎らで、積乱雲の無い蒼空。
空を見上げながら、壁にもたれかかり、パンを食べている少女が居た。
少女はお世辞にも美人とは言えないような姿だ。
髪を梳いていないのか、ボサボサとした髪をお下げにして、パンを食べながら空を見上げていた。

なにもやる事が無い。違う。やることが無いのではなく、やりたいと思うことが無い。
近年の若者に多い傾向にある問題は、少女にも例外なく当てはまるようだ。
パンを食べ終え、横において置いた魔法瓶を手にとって、中に入れていたコーヒーを飲む。
熱すぎずぬるすぎず、と言うのみ安い温度のコーヒーには砂糖もミルクも入れていない。

恐らく、彼女と同世代の少女ならば、殆どは飲めないだろう。
少女はコーヒーを一口飲み、息をついた。横には一冊の本。
それはジュニア小説やライトノベルと言ったものではなく、純粋な文学小説だった。
尊敬する作家は数人居る。けれど、心に響く小説には、まだ出会っては居ない。
ちらりとその小説に目を落とす。市営の図書館で借りた小説だが、はずれだ、と少女は思う。

なにを訴えたいのかがわからない。
難しい言葉を並べ、美辞麗句の様に言葉巧みに物語が進む。
面白い、とは思えない物語で、半分も読まないうちに読む事をやめてしまった。
ため息をつく。本を読むのは楽しい。けれど、教室で本を読んでいると周囲の雑音が耳障りで、いつも静かなここに居る。

朝は日に当たる場所だが、日中は日陰になる場所だ。
風通りも良く、そよそよと優しい風が頬をなでる。
春先ならば、授業をサボって寝てしまいそうな、そんな環境の場所だった。
そよ風に抱かれて、ウトウトとしてしまうが、チャイムが聞こえてきた。
ため息をつき、コップに入っていたコーヒーを飲み干し、立ち上がる。
おいて置いた小説を手に取り、教室へと足を向けた。

校舎内に入ると、やはり耳障りな雑音が神経を逆なでする。
静かな場所でずっと一人でいたいと、少女はそう思ってしまう。
授業の担任が入ってきて、教壇に立った。授業が始まり、少女は教師が話す言葉を右から左に抜けている状態だ。
それでもノートを写しており、殆ど聞いていない状態でその日の授業は終わった。
少女……遠藤早苗の授業態度は良くも無く悪くも無く、普通といえる。真面目でもなく、不真面目でもない。

授業が終わり、放課の時間が訪れる。早苗は鞄に本と水筒を入れて、席を立った。
靴を履き替えて自転車で図書館へ向かう。
夏が近い空気は暑く、すぐそこに夏が近づいていると感じさせる。
近道のため、公園のの中に入っていく。幼い子ども――と言っても、小学生の中学年ぐらいか――の子どもが遊んでいる。

その近くのベンチに、一人の少年が座っていた。
年齢は自分と同じ位だろうか、もしかしたら上かもしれない。
黒い髪と相反するように肌が白く、病的ともいえる。
手には一冊の本がある。遠目なので、その本が何の本なのか分からない。
少し興味が持ったが、思考の端に寄せて自転車を漕ぐ力を強めた。

図書館に着くと借りていた本を返し、次になにを借りようかと、本棚を物色する。
タイトルが色々とあり、選り好みをしてしまう。
本を選んでいるといつの間にか1時間は軽く過ぎる為、前回に借りる際に目をつけた本を借りるようにしているのだが、目をつけていた本は貸し出し中の様だった。
落胆は隠せなかったが、早苗は気を取り直して本を選ぶ事にした。
本を選んでいると、先ほどの黒髪の少年がやってきて、医学に関する本を数冊手に取り、机に座り本を広げた。
先ほどの本は家なのか、あるいはこの図書館で借りた本だったのかは分からないが、手元には無いようだ。
結局、その日は本を借りずに帰宅した。

翌日。自転車で学校に向かっている。
燦々と輝く太陽の日差しは昨日よりも強い気がした。
学校について口を履き替え、教室へ向かう途中。昨日の少年が視界に入った。
自分より一つ上の学年だったのか、ネクタイには二つのラインが入っている。
細い身体は他の男子生徒に比べれば異質。それ故に彼は目立っている。

「おはよ、早苗」

「え? あ、おはよう、さつき」

「なに、誰見てんの?」

「なんでもないって」

「ほんとにぃ〜? あの高城先輩をジーッと見つめてたじゃない」

さつきと呼ばれた少女が、先ほどの少年を指差しながら言う。
その指の先。さつきが高城と呼んだ少年を見る。
背はそれ程高くは無く、自分と同じ位の身長だろうか。体格は良い方だが、それよりもその白すぎる肌が彼の虚弱な身体を物語っていた。
その脆弱とも言える様な風貌は、周囲に溶け込めないようで、浮いた存在になっていた。
早苗達は少しの談笑の後、教室へと足を向けた。
面白くもない授業が始まるな、と早苗は心の中で呟きながら教室へと向かっていた。

午前の授業が終わり、昼食の時間になった。
早苗はいつも通り、いつもの場所へと足を運んでいた。
さつきは部活の部員達と食べる約束をしており、早苗一人の時はあの場所で食べていた。
いつもの場所に着くと、今朝見た少年――高城と言ったか――が腰をかけていた。
どうしようか、と思案していると、高城がこちらに気づいて、話しかけてきた。

「あれ、人が来るなんて珍しいな……」

「どうも」

そっけなく答え、背を向けようとする。
だが、それよりも早く言葉を投げかけられた。

「僕の事は気にしなくて良いよ。 なんなら、僕が移動しようか?」

「……結構です」

出鼻をくじかれた、と感じて早苗は少しいらだちを見せる。
高城は気づいておらず、柔らかい空気を纏ったまま、微笑んで見せた。
媚びている様な笑みに見えて、早苗はさらに苛立ちを大きくした。

「あれ、気を悪くしちゃったかな……」

「別に普段からこんな感じですから」

「そう? その割りに、眉間に皺が寄ってるよ、こんな風に」

そう言って、眉間に皺を寄せて指差した。
早苗は怒気を削がれて、高城とは少し離れた場所に腰を下ろした。
高城は、腰を下ろしたのを見届けると、隣に置いた鞄から本を取り出して読み始めた。
何の本なのだろうか、とその本を見る。昨日と同じ様にブックカバーがつけられており、本のタイトルが分からない。
本を捲るスピードは早く、本当に読んでいるのだろうか、と疑ってしまう。
早苗の視線に気づいたのか、高城がこちらを見て問いを放ってきた。

「コレがなんの本か気になるの?」

「え、そういうわけじゃ……」

「医学書だよ。 病気の名前とか、症状を詳しく書いてある本」

「……なんでそんなものを読んでるんですか?」

「ん〜〜〜まぁ、些細な理由だよ、君にとっては」

「私にとっては、と言う事は先輩には重要なんですか?」

「どうだろうね……僕にはもう必要ないけど、ただ読みたいから読んでるだけだよ」

「医者を目指してるんじゃないんですか?」

「医者? いや、目指して無いよ。 ホントに興味本位」

高城の答えを聞いて、早苗は少し疑問を抱く。
嘘をついている気がした。それがどんな嘘で、何故嘘をつくのかまでは分からない。
だが、それは事実だと言う事を、直感的に感じていた。
早苗は興味をなくしたのか、昼食を取り始めた。
珍しい事に蝉が鳴いておらず、本を捲る音が耳につく。その音は、早苗にとっては心地よいモノだった。
昼食を食べ終えて、高城を見る。

と、先ほどとは打って変わり、その柔和な顔が険しい表情を浮かべていた。
どうしたんだろうか、と思うが瑣末な事だと切り捨てて本を取り出して、読み始めた。
静かな空間。ページを捲る音だけが、その場所に響いていた。

「ここは静かだから、色々と考えられるんだよね……」

急に、高城が口を開いて呟いた。
誰かに聞いて欲しい、と言うニュアンスを含んでいる為、その言葉に対しての疑問を投げつける。

「は? どうしたんですか、急に」

「あぁ、独り言として取ってくれると嬉しいかな?」

「そうですか……」

「ちょっと質問するけど、神サマって本当にいるのかな? 君はどう思う?」

急な問いかけ。
早苗は、その問いかけに対する答えを口にした。

「いないと思います」

「それは、どうして?」

「天国とか地獄とか言われても、それをこの目で見ない限り信じませんから、私は」

「そっか……」

「なぜ、急にそんな事を聞くんですか?」

「なんとなく、だよ。 僕は、神は存在すると思う」

「……その根拠は?」

「根拠なんて無いよ。 神サマはいる、信じている人の心にね。
 でも、神さまを信じる信じないは人それぞれで、人に想像された万能の神・・・・・・・・・・を信じることで生きている人もいる。
 もちろん、誰もがそういうわけじゃない。 君は無神論者だ、けれど初詣には行くだろう?」

「それは……」

「答えなくても良いよ。 ただ、僕の考えを言っただけだからね……っと、そういえば自己紹介してなかったっけ。 僕は高城雄樹、君は?」

「遠藤早苗です」

「遠藤さんね……ごめんね、急に変な事を聞いて。 それじゃ、僕は教室に戻るよ」

高城はそう言って、去っていった。
一人、残された早苗はその事を頭の中にとどめていた。
なぜかは分からないが、彼の言った言葉は心に残るモノだった。

それから何気ない話しをたまにする程度の仲になった。
半年が経過し、高城雄樹は中学を卒業してこの近辺で一番の進学校に進学し、早苗も同じ学校を目指す事にした。
さつきに彼の事を好きなのか、と聞かれたが違う、と否定していた。
好きなんだろうか、と何度か考えた事がある。確かに好きと言えるだろう。
ただ、その好きと言う感情は異性に対するそれではなく、仲の良い友人に対するそれだった。

同じ学校に行けば、高城雄樹と話しをする事が出来る。
他愛も無い話から好きな作家、果ては音楽の好みまで二人は似ていた。
だから、もっと話していたいと思ったから、早苗は同じ学校に行く事にした。
傍から見れば、それは紛う事無く恋愛感情である。だが、早苗はそれを否定していた。

そして、雪が降る冬。彼女は悲報を知らされた。
高城雄樹の死去を知らされて、愕然とした。
葬儀場へと足を運ぶと、制服を着た数多くの人間がそこにいた。
ある一角では、雄樹が進学した高校の制服を着た綺麗な女性が椅子に座っていた。
その顔は暗く、泣きはらしたのか目元が赤くなっている。

記帳を済まして葬儀場の中へと入り、設置された椅子に座って前を見る。
白黒の写真が設置されていて、笑顔を浮かべている。
読経が聞こえるが、早苗はただ呆然としていた。
身体が弱いということ以前に、不治の病を患っていたことも知らなかったから。
思えば気づけたはずだった。医学書を読んでいたから、医者を目指しているのか、と問いかけた事がある。
それに対する答えは、知られたくないという感情があったのか、それとも別の理由なのかはわからなかった。

焼香を上げて、高城雄樹の家族に会釈をして、外に出た。
夜の風が身にしみた。まだ、彼が死んだという実感が無い。
家に帰り、明日の告別式にも出よう、そう考えてベッドに入り込んで眠りについたが、なかなか寝付けなかった。
翌日の朝。学校をサボり、早苗は葬儀場に足を運んでいた。
昨日と同じ場所。同じ設置のままの棺をみて、漸く実感がわいてくる。

高城雄樹は死んだのだ。そう理解できた。
ポロポロと、涙がこぼれてくる。
止まらない。

その日、初めて悲しくて泣いた。
その日、初めて他人の為に泣いた。
その日、初めて声を上げて泣いた。

焼香を上げて、外に出て呆けていた。
読経がまだ聞こえてくる。帰ろうと思い、歩き出そうとしたら、制服を着た一人の女性が出てきた。
誰かを探しているのか、その女性は周囲を見渡している。
と、その女性と視線が合う。探しているのは自分じゃない、と思っているとその女性が近づいてきた。
早苗の前で立ち止まり、口を開いた。

「あなたが……遠藤早苗さん?」

「は、はい、そうですけど……あなたは?」

「私? 私は……雄樹のお姉さんみたいなものかな?」

「はぁ……」

「少し、話しをしたいんだけど……いいかしら?」

その女性の問いに頷きで答え、二人は葬儀が終わるまで葬儀場内の一室でお茶を飲んでいた。
早苗はその女性をまじまじと見る。
黒い髪が波打ち、艶やか髪が電燈の光に照らされる。美しい黒で、クセッ毛の自分の髪とは違って、シルクの様に滑らかだった。
顔をまっすぐと見る。
やや切れ長の目だが、優しい目をしている。少々目元の化粧が濃い気がするが、泣き明かした目元の赤みを消す為だろう、と考える。
ルージュもなにも塗っていない唇だが、あでやかに見える。男を惑わすような唇にみえた。
背筋を伸ばし、りんと座る姿は正直に言えば、うらやましいと思えた。

「雄樹から貴方の事を聞いてて、少し話をしてみたいと思ったの」

「そうですか」

緑茶の入った湯飲みを差し出され、美奈子はお茶を啜った。
それに習い、早苗もお茶を啜る。程よい渋みで、初めて緑茶を美味しいと思えた。
なにを話そうか、と考える。
雄樹とはどういう関係なんだろうか。そう考えて、口を開こうとした所で女性が口を開いた。

「雄樹は見た目どおり、って言えば変かな? 泣き虫でね、昔からクラスの子に泣かされて、私がいつも慰めてあげてたの」

「そうなんですか……」

「懐かしい思い出、ってやつね。 貴女は、どんな事を雄樹と話したの?」

「別に……他愛も無い話です。 好きな作家とか、好きな本とかの話をしただけです」

「そう……雄樹は、楽しかった、って言ってたわ」

「あの、高城先輩に『神サマって本当にいるのかな?』って聞かれませんでしたか?」

「え? ん〜〜〜聞かれなかったわ。 その問いかけを雄樹が?」

「はい。 高城先輩に質問されたんです、自分が思っていることを話したら、高城先輩が真面目な顔をして『神さまを信じる信じないは人それぞれで、人に想像された万能の神を信じることで生きている人もいる』って言われたんです」

「そう……雄樹らしいわね」

早苗の言葉を聞いて、女性は優しく柔らかな笑みを浮かべた。
その笑みを見て、心がモヤモヤとし始めた。
それがなんの感情か分からず、早苗は女性と話をした。
他愛も無い話ばかりだった。

女性と話をしている内に葬儀が終わり、棺が焼却場へと運ばれる。
女性は高城雄樹の家族と一緒にいき、早苗は家に帰る事にした。
家に帰ると服を着替えて、ベッドに寝転がった。
胸がモヤモヤとする。どす黒いといえる感情がうごめいている。
そして、傍と理解する。この感情が何なのかを。

――あぁ、そうか。私、高城先輩のことが好きだったんだ

理解したとたん。言い知れない悲しみが押し寄せてきた。
悲しみに任せ、早苗はただただ泣いた。
涙を流し尽くす様に、泣き続けた。
悲しみを押し流せればと。気づいた想いすらも押し流せればと。
ただ涙を流し、泣き続けた。









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